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〝「戒壇の大御本尊」に対し奉る誹謗を破す〟との誣言を破折す4

2、〝「Gは話にならない」〟を破す

次に汝は、「河辺メモ」における「Gは話にならない」という発言について、当方が「日達上人に対する不遜の言も、間違いなく活動家僧侶(後の正信会)の発言である」と述べたことについて、

〝見えすいた嘘〟

であると疑難を呈している。
これについても汝に、当時の状況について教えておく。

昭和四十七年の正本堂建立の後、創価学会は「広布第二章」を標榜し、教義的な面においても、逸脱が目立ってきた。

これらの教義上の逸脱に関しては、日達上人も折々その誤りを指摘された。
そして創価学会の「昭和五十二年謗法逸脱路線」が顕著になると、活動家僧侶が創価学会の誤りを公然と糺すようになった。
日達上人は、これらの活動家僧侶の行動を一面では容認されたのであるが、けっして創価学会を潰そうとされたのではなく、学会を反省させ、善導しようとしておられたのである。
しかるに一部の活動家僧侶には、そうした日達上人に不満を懐き、不遜な言動をする者がいたのである。

総本山塔中理境坊信徒・佐藤せい子氏は、昭和五十三年一月当時、一部僧侶が、

日蓮正宗の中に創価学会の四字が存在するかぎり、広宣流布は絶対にできない。それだけ学会は世間に悪印象を与えすぎている。また、日達上人は八方美人であるから、学会問題について日達上人のお言葉どおりに行動することは危険である。
そこで、まず日達上人が体を翻せぬ状況を作るべく、学会破門を要求する僧侶が集まって日達上人を突き上げ、それに歩調を合わせて法華講数千名を本山に集結させる。そして、いっきに日達上人から学会破門の決断を下してもらう(法華講員の基礎教学 ―正信覚醒運動の変遷― 七四頁)

という不遜な発言をしていたと証言している。

これは、日顕上人と河辺師が面談された前月のことである。

また昭和五十四年二月十二日、日達上人はお目通りした佐藤氏らに、

「学会の誤りを責めてきた僧侶の中にも、私の言うことが間違っているとか、聞くと危険だとか、陰でいろいろ言っている者がいるようですね。まったく困ったものです」(同書七五頁)

と仰せられている。

さらに同年七月、日達上人は理境坊住職・小川只道師に、

「どうも正信覚醒運動の方向性がおかしい。やがては総本山にも矢を向けることになりそうだ。もし、あのメンバーに入っているのなら、今のうちに抜けておきなさい」(同書八一頁)

と御指南されている。

このように、日達上人は創価学会を善導しようとされたのであるが、この日達上人の御慈悲を拝信することのできなかった一部の不心得な活動家僧侶(後の正信会)に、日達上人に対する不遜の言をなすなどの不謹慎な者がいたことは、厳然たる事実なのである。

また汝は

〝正信会僧侶が、どうしてこのような発言をする必要があるのか。当時の宗門と学会の関係、学会と阿部教学部長の関係、細井管長と活動家僧侶との関係等を知れば、この嘘は即座に崩れる――〟

として、昭和四十八年から五十三年に至る経過を縷々る書き連ねて、もっともらしく粉飾している。

しかし当時の経過において、創価学会に種々の問題があったことにつき、日達上人が厳しい態度を取られたことに対し、「Gは話にならない」という不遜な発言を日顕上人がされたかの如く汝はいうが、これはまったくの欺瞞であり、汝の作文こそが
〝見えすいた嘘〟
である。

まず、昭和四十八年十月十四日、正本堂建立一周年記念の法庭東広場完成大法要において、池田大作が無礼にも日達上人を怒鳴りつけたことは周知の事実である。

この時の状況について日顕上人は、

「昭和四十八年十月十四日には、正本堂東廊下で池田大作が日達上人に怒鳴りつけたことがありました。
『学会を奴隷にするな』というような、非常に乱暴な言葉を吐いたのでありますが、しかし、日達上人は、この池田大作の誹謗を僧侶の尊い忍辱の鎧をもって見守られ、慰撫教導に努められたのであります。」(大日蓮平成四年十一月号六一頁)

と述べられている。

正本堂建立の経過において、池田大作は広宣流布達成という慢心を懐き、一方、汝浅井昭衛は田中智学流の国立戒壇に固執した。
御法主日達上人は、双方を善導しようと苦慮されたのであるが、そのような状況において、日達上人の示された正本堂の意義付けについて池田が不満を募らせたという背景があったことはたしかである。

しかしこのような池田大作の粗暴な振る舞いに対しても、日達上人は大慈悲の上から忍ばれ、慰撫教導に努められたのである。
それを汝は、

〝宗門と学会の癒着に亀裂が入った〟

などという。
これ日達上人の大慈悲のお振る舞いを軽しめる無慚無愧な謗言である。

次に汝は、昭和四十七年七月二十七日の「宗門の現況に関する説明、並びに指導会」の日達上人のお言葉も引き、

〝なんと醜い仲間割れか〟

と侮言している。
日達上人がこのようなことをあえて仰せられたのは、日蓮正宗の正法をどこまでも守り抜き、僧俗一致の広宣流布を目指していく、という御決意を示されたものである。

日達上人の悲壮な御覚悟を
〝仲間割れ〟
としか見ることのできない汝の心根は、まことに卑しいとしか言いようがない。

また汝は、

〝池田は正本堂落成以前にすでに「板曼荼羅に偏狭にこだわらない」とも放言している〟

という。
池田大作は平成五年五月三日、池田を称賛した学者の発言を、「寄せられた識者の声を紹介しておきたい」とした上で 、

「その折り、私(識者)は、『究極に求められるものは何でしょうか』と(池田に)質問しました。おそらく〝板漫荼羅の御本尊〟と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は『久遠元初の法です』と答えられたのです」
「このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見た思いでした。以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております」もとより御本尊が、私どもの「根本尊敬」の対象であられることはいうまでもない。そのうえで、漫荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではありえない。当然、そこに計り知れない御仏意があられると拝されるが、漫荼羅としてあらわされた「法」は永遠である。いずれにしても、大聖人の仏法の真髄である「久遠元初の法」を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける。(聖教新聞平成五年五月五日付)

等と述べ、大聖人の仏法の真髄は「板漫荼羅」ではなく「久遠元初の法」であるとした。
この池田の発言は平成五年であり、

〝池田は正本堂落成以前にすでに「板曼荼羅に偏狭にこだわらない」とも放言している〟

という汝の言は欺瞞である。
正本堂落成の昭和四十七年以前は無論のこと、もし平成三年に創価学会が破門となる以前に池田大作がこのようなことを公言したら、宗門が許すわけがない。
したがって汝が、

〝池田べったりの汝が、この影響を受けないはずがない〟

などということも、あるはずがないことである。

さらに汝は、
(昭和五十二年)
〝一月二日には、学会批判の論文を書いた菅野憲道が学会本部に呼びつけられ、吊し上げられるという事件がおきる〟

としている。しかし、この事件があったのは、一月二日ではなく、一月二十日の誤りである。

この前日、日達上人は菅野憲道に対して、

「緒戦だから、一度引いておけ、確信もって書いているのはけっこう。前哨戦だから。」(藤本メモ)

と御指南された。
したがって、当日学会本部に同行された日顕上人は、前日の日達上人の「一度引いておけ」との御指南を踏まえ、事を穏便に解決されるべく、対処されたものである。
汝は

〝同行した阿部教学部長は、ただ学会の側に立って菅野をたしなめるだけであった〟

という。
しかし実際には、学会側が「土下座せよ」と菅野に迫ったことに対し、同席された日顕上人は、
「土下座はさせられません。猊下の弟子ですから」
と理非を糺されているのである。
これらの対応について御報告を受けられた日達上人は、菅野憲道に対して、
「引く時引かねばダメ、出る時は出てよい。今はガマンせよ。韓信の股くぐり、ガマンが大事、蔵六は六方引込めて、季節になったら出す。学会が土下座せよといったら、堂々土下座すべし。」(藤本メモ)

と御指南されている。
即ちこのように、宗門側の対応は日達上人の御意を体して行われたものであることが明らかである。

つづいて汝は、同年八月四日の学会の『副会長会議記録』なる文書を引いて日顕上人を誹謗している。
しかしこの副会長会議なるものは、創価学会内部の会議であって、当然宗門の関知するものではない。
当時、日顕上人は日達上人の命に従って御奉公されていたのであり、

〝学会は汝の野心を知り、それを利用して宗門対策を進めようとしていた〟

などという汝の言を、まさに下司の勘繰りというのである。

さらに汝は、同年九月二日、宗務役員と学会首脳が学寮(蓮蔵坊)で会談した記録『学寮記録文書』なるものを持ち出して日顕上人を誹毀している。
その中で日顕上人が、

〝創価学会は末法にあって、今後も出ない団体だと思います〟
〝社会に開いた先生の教学はよくわかります。完璧であると思います〟

などと発言したとして、日顕上人に難癖をつけているのである。
この学寮における会談の記録には、実際には二種類のものがあり、いずれも正信会から出版されたものである。
それは、当時の宗務院藤本庶務部長(現日蓮正宗重役)によるものと創価学会側によるものとであり、その内容には大きな異なりがある。
詳細は略すが、藤本庶務部長の記録は、会談の内容を丹念に記されたものである。
これに対し、学会側の記録は、藤本庶務部長の記録にあるにもかかわらず記載されていない内容も多く、その反面、文章が整いすぎている。
学会側の記録は、後日発言を整理し、しかも自分たちに都合いいように記した文書であることが明らかである。
ここで汝が引く『学寮記録文書』は学会側の作成によるものである。
ところが、藤本庶務部長の記録には、汝の引く

〝創価学会は末法にあって、今後も出ない団体だと思います〟
〝社会に開いた先生の教学はよくわかります。完璧であると思います〟

という発言は記されていない。
この点について、今般藤本重役に伺ったところ
「そのような発言があれば必ず書くので、記述がないということは、発言はなかったのであろう」
と述べられた。藤本重役のメモは、その正確さにおいて定評がある。したがって、実際には日顕上人にはこのような御発言はなかったのである。

しかもこの会談で日顕上人は、
「創価仏法という言葉、これは間違いだと思う。」(藤本メモ)

と池田に対し、注意すべきことは厳然と注意し、クギを刺されていることを知らねばならない。

このように発言されながら、

〝先生の教学は……完璧〟

などと日顕上人が言われるわけがないのである。

このことを知らない振りをし、一言も触れない汝の態度は卑怯というほかはない。

〝次期を狙っての野心がここにも見える〟

という汝の言も、まさに悩乱者の戯言である。

また汝は、昭和五十二年十一月二十八日の日達上人のお言葉なるものを引き、

〝ここに細井管長は、学会と手を切ることを決意し明言したのである〟

としている。しかしこのお言葉なるものは、『正信覚醒運動の歩み』からの受け売りであり、そのまま鵜呑みにすることはできない。
なぜなら同書は、正信会が自らの立場を正当化するための手段として発刊したものだからである。

したがってそのお言葉なるものは、日達上人の御発言などとは到底いえない。

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メタボの情報源は学会と正信会だから悪意に満ちていて当然だよね

それを得意気になって会員に指導してるんだから恥ずかしいやつだよな~
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2010-12-28 : あっつぁの顕正会体験記 : コメント : 0 :
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プロフィール

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Author:あっつぁ
もと顕正会男子部支隊長だった
あっつぁ と申します

破折ブログと言うよりは
顕正会の内情暴露のブログですので
現役会員も元会員もアンチ顕正も
肩肘はらずテキトーにご覧ください

そして全員で顕正会の内部を暴露して参りましょう
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