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〝「戒壇の大御本尊」に対し奉る誹謗を破す〟との誣言を破折す2

1、〝「河辺メモ」〟についての雑言を破す

ここで汝は、

〝汝は恐れ多くも──(中略)最極無上・尊無過上の戒壇の大御本尊を、あろうことか「偽物」と断じた〟

などとの謗言を構えるが、これは「河辺メモ」の不正確な記述を悪用した汝の言い掛かりにすぎない。

かかる汝の誣言に対しては、後に徹底して破折する。

まず汝は、平成十一年七月九日の宗務院からの通達
「怪文書『同盟通信』の妄説について」
及び七月十日の
「河辺慈篤師からのお詫びと証言」
の一部分を切り文して謗言を構えている。
よって、これらの通達等の主要部分を次に掲げる。眼を見開いてよく読むがよい。


平成十一年七月九日、「怪文書『同盟通信』の妄説について」

この度、御法主上人猊下には、河辺メモ中の記載事項と、実際の面談とには、内容に大きな差異がある旨を仰せになられました。
即ち、二十年以上も以前のことであり、その発言内容の全てを正確に御記憶されているわけではありませんが、当時は裁判も含め、以前より外部からの「戒壇の大御本尊」に対する疑難が多く来ていたこともあり、御法主上人猊下におかれては、教学部長として、それらの疑難について河辺師に対して説明されたものであります。
したがってメモに記載されているごとき、御法主上人猊下御自身が本門戒壇の大御本尊を偽物と発言するようなことは、断じてあるはずがないとの御指南であります。(大日蓮平成十一年八月号四頁)


平成十一年七月十日、「河辺慈篤師からのお詫びと証言」
この度の件につき申し上げます。
私はこれまで、種々メモを残しておりますが、その方法は、見聞した事柄につき、後に回顧して書いたものが多く、その際、私の性格として、自分の主観に強くこだわり、その趣旨で書き記す傾向があります。
従いまして、今回の件における面談の折の記憶を喚起致しますと、当時の裁判や以前からの『戒壇の大御本尊』に対する疑難について様々な話が出た中で、それらと関連して、宗内においても、『戒壇の大御本尊』と、昭和四十五年に総本山へ奉納された『日禅授与の御本尊』が共に大幅の御本尊であられ、御筆の太さなどの類似から、両御本尊の関係に対する妄説が生じる可能性と、その場合の破折について話を伺ったものであります。
但しこの話は強烈に意識に残りましたので、話の前後を抜いて記録してしまい、あたかも御法主上人猊下が御自らの意見として、『本門戒壇の大御本尊』を偽物と断じたかのごとき内容のメモとなってしまいましたことは明らかに私の記録ミスであります。
このような私の不注意による、事実とは異なる不適切な内容のメモが外部に流出致し、本門戒壇の大御本尊様の御威光を傷つけ奉り、更には御法主上人猊下の御宸襟を悩ませ、また宗内御一同様に多大の御迷惑をおかけ致しましたことを衷心より深くお詫び申し上げる次第でございます。(同頁)


このように宗務院からの通達「怪文書『同盟通信』の妄説について」には、

当時は裁判も含め、以前より外部からの「戒壇の大御本尊」に対する疑難が多く来ていたこともあり(中略)それらの疑難について河辺師に対して説明されたもの

とあり、「河辺慈篤師からのお詫びと証言」には、

当時の裁判や以前からの『戒壇の大御本尊』に対する疑難について様々な話が出た中で、それらと関連して、宗内においても、『戒壇の大御本尊』と、昭和四十五年に総本山へ奉納された『日禅授与の御本尊』が共に大幅の御本尊であられ、御筆の太さなどの類似から、両御本尊の関係に対する妄説が生じる可能性と、その場合の破折について話を伺ったもの

とある。
汝はこの両者に述べられることが矛盾するというが、この両者はまったく相反するものではない。

ここで、メモが記された昭和五十三年当時までに如何なる経過があったか、汝に示しておく。

昭和三十一年六月、日蓮宗僧侶・安永弁哲による『板本尊偽作論』が刊行され、大御本尊に対する誹謗がなされた。

その後、日蓮宗、仏立宗、国柱会等から、次々と大御本尊に対する疑難がなされたのである。

また、昭和四十七年十一月、創価学会員で民音職員の松本勝弥が、創価学会及び代表役員・池田大作を被告として、「正本堂御供養金返還請求」を提訴した。

その「請求の原因」には、

被告は前述のとおり、正本堂は日蓮大聖人の三大秘法の大本尊を安置するためである、そのため会員は供養金を寄付すれば幸福になると称して右寄付を勧誘し、原告は被告の右正本堂に安置するといういわゆる「一閻浮提総与の大本尊」が真正な大本尊であると信じたからこそ前記の寄付をしたのである。しかるに、右「大本尊」は次に述べるとおり、「日蓮大聖人の弘安二年一〇月一二日建立した大本尊」ではない疑いがきわめて濃厚となり、右疑問に対して被告は何らこれを解く努力をなさず、このため原告両名は右大本尊を信仰の対象としえなくなり、前記寄付はその要素に錯誤の存在することが明白になった。(訴状)

とある。
このように、戒壇の大御本尊の真偽が裁判の焦点となったのである。

さらに『月刊ペン』の昭和五十一年十月号には、宮崎英修による、「大石寺・板まんだらについて──その価値と成立」との戒壇の大御本尊を疑難する邪論が掲載された。

これに対して日顕上人(当時教学部長)は、昭和五十一年十月十五日、
『立正大学図書館長宮崎英修氏の妄説誹謗を破す』
を発表し、宮崎英修の邪説を徹底して破折された。

さらに日達上人は、同年十月二十四日、創価学会第三十九回本部総会において、同じく宮崎英修の邪説を破折遊ばされている。

このように、当時の状況は、邪宗各派や裁判において、大御本尊に対する疑難が多くなされていたのであり、これらが「外部からの『戒壇の大御本尊』に対する疑難」ということである。

一方宗内における疑難については、『慧妙』に次のように記されている。

正信会・大黒喜道編纂による『日興門流上代事典』の七三六頁には、本門戒壇の大御本尊の解説文として、次のように記されており、その中で戒壇の大御本尊に向けられた疑難は、まさに、『河辺メモ』に記された疑難と、みごとに一致しているではないか!
『弘安二年(一二七九)十月十二日に書顕されたと伝えられる富士大石寺蔵宗祖御筆本尊で、曼荼羅下部には『右為現当二世造立如件/本門戒壇之願主弥四郎国重/法華講衆等敬白/弘安二年十月十二日』
と記されている。現在は板曼荼羅として大石寺に厳護されているが、非公開であり、古来より宗祖の御筆に対して疑問が提出されている。(中略)
富谷日震『本宗史綱』二四五は『重須日浄記』に拠って当本尊の彫刻を大石寺日有によるものと推定し、日蓮宗事典はその筆跡や脇書等から室町期の成立と推測している。(中略)大石寺所蔵の宗祖本尊の中では、元は東京・法道院所蔵にて昭和四五年に大石寺に奉納された弘安三年五月九日書顕の宗祖本尊(脇書『比丘日禅授与之/〔日興上人加筆〕少輔公日禅者日興第一弟子也。仍所申与如件。奉懸本門寺可為万年重宝者也』興全一四一)が、その相貌と言い大きさと言い、当本尊と酷似しており、注意される。』
この『日興門流上代事典』なる書の発刊は『二〇〇〇年一月一日』と記され、近年の発刊となっているが、問題は、そこに述べられた『日禅授与の御本尊』と『戒壇大御本尊』の関係についての説が、いったい、いつから存在したか、という点である。
そこで今回、本紙が編者に問い質したところ、重大な事実が判った。
すなわち、すでに昭和五十年頃、虫払い大法要の際に宗内の何者かが撮影した『日禅授与の御本尊』の遠景写真(これは、いま編者の手元にある)、及び『日禅授与の御本尊』と『戒壇大御本尊』が酷似しているとの説があった、これについて編者(大黒)自身は別の意見を持っているが、『事典』という性質上、中立にあらゆる意見を載せたにすぎない、というのである。
やはり、というべきか、この事実は重大である。
編者が自称・正信会に籍を置いている関係からすれば、右に言う『写真』も、おそらくは正信会関係者から入手したものであろうし(その氏名を聞くことは、ついにできなかった)、『河辺メモ』に記された、昭和五十三年当時、『日禅授与の御本尊』と『戒壇大御本尊』の関係を疑って云々していたのも、後に正信会となる宗内一部僧侶であったことは、もはや確実である
(慧妙平成十四年六月一日付)

たばかり昭衛、この記事をよく読め。
汝は

〝大御本尊を偽物呼ばわりしたのは、外部の者でもない、宗内の者でもない、またその可能性があったわけでもない。ただ一人汝が、この大それた悪言を吐いたのである〟

というが、この大黒喜道の証言からも明らかなとおり、大御本尊と日禅授与の御本尊が類似しているという説が昭和五十年当時、既に宗内の一部にあり、それが
「宗内においても……両御本尊の関係に対する妄説が生じる可能性」
ということなのである。

このように、「河辺メモ」に記されている内容は、何者かが「戒壇の大御本尊」と「日禅授与の御本尊」を関連づけて妄説を述べる可能性があるという話を記したものなのである。
これらのことからも、

〝ただ一人汝が、この大それた悪言を吐いた〟

という汝昭衛の言が

〝大それた〟
〝たばかり〟

であることは明らかである。

また汝は、

〝「強烈に意識に残った」ことを記録するのに、たとえ話の前後を省略しようとも、「偽物と断じた」のは誰かという主語を間違えることがあり得ようか〟


という。
しかしこのメモの「一、戒旦之御本尊之件」という項には、まったく
〝主語〟
は記されておらず、また「お詫びと証言」にも
〝主語を間違える〟
などとはどこにも記されていない。

このように、誰も述べていないことを作り上げる汝の言こそが、まさに
〝たばかり〟
である。

さらに「河辺メモ」には、種々方法の筆跡鑑定の結果解ったとあるが、これも大黒喜道の証言から明らかなとおり、日禅授与の御本尊の遠景写真という鑑定材料を入手した者がおり、その写真をもとに判定を行った者が妄説を唱えるという状況が当時存在していた。

汝は

〝教学部長・阿部信雄以外にはないではないか〟

というが、河辺慈篤師は、宗内の一部に妄説を唱える者があったからこそ、その旨をメモに記したのである。

このように河辺師は、日顕上人が戒壇の大御本尊を偽物と断じたかの如き妄言について明確に否定し、また河辺師のメモが誤解を生ぜしめたことに対し、御法主上人にお詫びされているのである。

なお、河辺師は、札幌・日正寺から新宿・大願寺に転任しているが、当時の日正寺の寺院等級は一等であり、大願寺の寺院等級はかなり下であるから、この転任は〝栄転〟でも〝取引〟でもない。
すなわち河辺師は、メモ流出の事情により、転任されたのである。

なお、平成十一年九月十八日の御法主日顕上人の御指南は、顕正会員が目にする機会はないであろうから、ここに全文を掲載するので、正直に顕正会員に知らしめよ。


最近、宗内僧侶河辺慈篤房が書いたというメモが、本人の承諾なく、盗人の手によって創価学会に流れ、それを悪用した創価学会が、機関紙聖教新聞・創価新報等にその記事が真実であるとして、「野衲日顕の本門戒壇の大御本尊に対する不信不敬なり」とする悪口誹謗の記事を掲載している。
既に戒壇の大御本尊様に背き、歴代血脈の法主上人にも悪口三昧の限りを尽す下種三宝破壊の池田大作以下創価学会の者共が、寸言のメモを根拠として、日蓮正宗宗旨の大事について論ずる事自体僣越の極みであり、資格なき者の戯論である。
一顧の価値もない邪論と断ずる。(平成十一年九月十八日の御法主日顕上人
御指南)

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たばかり昭衛よ

ちゃんと会員に知らせよ
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2010-12-28 : あっつぁの顕正会体験記 : コメント : 0 :
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プロフィール

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Author:あっつぁ
もと顕正会男子部支隊長だった
あっつぁ と申します

破折ブログと言うよりは
顕正会の内情暴露のブログですので
現役会員も元会員もアンチ顕正も
肩肘はらずテキトーにご覧ください

そして全員で顕正会の内部を暴露して参りましょう
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