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〝第三章「戒壇の大御本尊」に対し奉る誹謗を破す〟との誣言を破折す

四、 〝第三章 「戒壇の大御本尊」に対し奉る誹謗を破す〟との誣言を破折す

この章において汝は、故河辺慈篤師が筆記したメモ(通称「河辺メモ)をもとに、日顕上人に対して悪口誹謗の限りを尽くしている。

そもそも「河辺メモ」は、河辺師が日常において種々筆記した私的なメモである。
このメモが何者かによって持ち出され、後に創価学会による宗門・日顕上人の誹謗に利用されたのである。

汝はこのメモの記述を奇貨として、日顕上人が

〝「戒壇の大御本尊」に対し奉る誹謗〟

をしたなどとの謗言を構えるが、日顕上人が戒壇の大御本尊を否定されたことなどまったくない。

汝の言は、創価学会による宗門・日顕上人の誹謗をそのまま真似したものであり、創価学会の受け売りにすぎない。

汝は、創価学会が仏法を破壊したと随所で述べるが、その実、創価学会の虚言を平然と利用している。

汝は他のことを云々する前に、創価学会の誹謗を有り難がって猿まねする破廉恥な自らを恥じよ。

まず汝は日顕上人に対して、

〝栄達の道が閉されたと思い込んだ汝の憤懣〟

〝出世の芽がなくなったと思い込んだ汝の憤懣が、細井管長への批判だけに止どまらず、恐れ多くも戒壇の大御本尊への八つ当りとなって現われた


などとの謗言を構えている。
しかし、宗門僧侶は御法主上人の命を拝して御奉公するのであり、
〝栄達〟
〝出世〟
などという世俗的な考えは、日顕上人にはもとよりあられない。

かかる言こそ、汝の邪な心を表して余りあるものである。

日顕上人は、日達上人より昭和五十三年四月十五日に血脈相承を受けられたが、それよりはるか以前から、日達上人が日顕上人を後継と考えておられたことを証明する多くの証人が宗内におられるのだ。

昭和四十九年一月十八日、日顕上人の御母堂妙修尼が逝去されたが、これに先立つ一月十三日、日達上人は京都平安寺へ御下向、妙修尼を見舞われた。
このとき妙修尼の部屋へ日達上人のお供をして入ったのは日顕上人夫人と当時御仲居であった光久日康能化(現妙縁寺住職)であった。
その折に日達上人は病床の妙修尼に「あなたの息子さんに後をやってもらうのですからね、早く良くなって下さいよ」と述べられ、妙修尼を元気づけられたのである。
このことはお供で入室された光久能化も証言しておられる。

またこの件に関して、日達上人から直接話を聞かれた方がおられる。それは昭和四十九年当時の大石寺理事、野村慈尊師(現清涼寺住職)である。
師は京都からお帰りになった日達上人を総本山でお出迎えしたのであるが、この折に日達上人は野村師に対して、
「妙修さんにな、あなたの息子さんに後を譲るから安心しなさいといって励ましてきたよ」
と話されたのである。

また、昭和五十年当時、法華講連合会佐藤悦三郎委員長のもとで連合会登山部長として尽力されていた小島富五郎氏(妙國寺総代)は、ある時連合会幹事三名で、総本山内事部において日達上人に御目通り申し上げた。その折に、
「私もだんだん身体が弱ってきたので、後は阿部教学部長に任せようと思う」
とはっきりと仰せになられたので、この時に、後は阿部教学部長がなられるのだと思ったと述懐されている。

さらに当時日達上人のお側で長年奥番を勤めていた早川検道師からは、日顕上人の夫人が大奥へ御目通りに来られた時など、日達上人が大奥の階段のところで、
「後はあなたの旦那さんだからね」
と言われていたのを伺ったとの証言もある。

これ以外にも、日達上人の御遺族や御弟子、御信徒など、相当数の方々が、日達上人の御生前に日顕上人への御相承に関する話を聞かれているのである。

なお日顕上人は、
「私が日達上人より、過去、数度にわたって相伝の甚深の法門を承り、それらの総括として昭和五十三年四月十五日、大奥において、付嘱の義をもって深意を拝承したことは、仏祖三宝の御照覧において、事実であります。」(大日蓮昭和五十七年七月号七五頁)

と仰せられている。

日顕上人が日達上人より甚深の法門を相伝されたことは数回以上に及んでいるのだ。ただし、それらの中で、特に御付嘱の義をもっての正式な御相承をお受けされたのが昭和五十三年四月十五日であったと仰せられているのである。

このように、昭和五十三年当時よりはるか以前から、日達上人は日顕上人を後継者と決定されていたのである。日顕上人が汝のいうような浅ましい考えを持たれるわけがないのである。


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いや、メタボも昔は認めていたよね

正信会が血脈否定をした時に正論を述べて反論していたよね

自分の立場が無くなった途端に悔し紛れに血脈否定しただけだよね

正本堂が無くなっても宗門が認めてくれないもんだから八つ当たりで血脈否定しちゃっただけだよね
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2010-12-28 : あっつぁの顕正会体験記 : コメント : 0 :
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