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「法主絶対論」等の欺瞞を破す〟との誑言を破折す12



また汝は

〝そのような空気の中、顕正会を嫉視する法華講連合会委員長・平沢益吉から、四箇条の詰問状が、妙信講・指導教師の松本日仁住職を通して、小生に突きつけられた。この詰問は、宗務院・連合会連絡会議の席に松本住職を呼びつけてなされ、平沢の発言を阿部教学部長が筆記して手渡したものである。その詰問状はいま小生の手許にある。このうち三ヶ条は取るに足らぬ言いがかりであったが、一ヶ条は重大であった。それは、小生が正本堂を事の戒壇と認めぬことを詰り、返答を求めたものである。詰問状には「今の正本堂は事の戒壇ではない。奉安殿が狭くなったので、広い処へ移すためだけのものである、と妙信講では指導している」とあり、回答を迫っている。このとき平沢は「許しがたい。返答の次第では池田大作総講頭に伝え、妙信講を取り潰して見せる」と凄んだという。この一事を見れば、「顕正会も正本堂の意義に賛同していた」などのたばかりは、消し飛ぶであろう〟

などといって、当時の正本堂の意義に賛同していたことを覆い隠そうとするが、先に挙げた昭和四十年五月二十五日の総幹部会において、汝は、

「意義重大なる正本堂」
「戒旦の大御本尊様が奉安殿よりお出まし遊ばされるのであります。この宗門全体の重大な慶事」
「実に日蓮正宗の生命は大聖人出世の御本懐であらせられる戒旦の大御本尊様にてまします(中略)その御本尊様がいよいよ時を得て(中略)正本堂へとお出ましになるのであります」
「先生は千載一遇のお山への御奉公だと申されております。全講を挙げて歓喜の御供養をさせて頂こうではありませんか」

と発言していたではないか。

汝はこの「意義重大なる正本堂」等の発言の意味するところの趣旨を、昭和五十二年に、

「時は昭和四十年二月十六日、正本堂建設委員会において同上人(日達上人)は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされたのである。(富士昭和五十二年八月号六頁)

と述べていたのである。

ところが後に、当時顕正会が正本堂につき、かかる認識をもっていたとすることが都合が悪くなると、

「当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。少なくとも、管長猊下は一言も正本堂を御遺命の「事の戒壇」などとは云われず」(富士昭和六十一年八月号『顕正会「試練と忍従」の歴史』五三頁)

などと、全く正反対のことを述べるのである。
実に姑息な言い逃れである。

汝の昭和四十年、ならびに昭和五十二年の発言によれば、汝は、御先師日達上人の昭和四十年二月十六日、第一回正本堂建設委員会における御指南を拝して、その意義を
「正本堂が御遺命の戒壇に当たる旨の説法」
であると領解していたことが明らかではないか。

すなわち、汝ら妙信講はこの御指南を拝し、その重大な意義に感激して、「意義重大なる正本堂」の御供養推進の啓蒙を行ったのである。

また、その状況を証明する発言が他にもある。

当時、汝ら妙信講は、

「この御供養は、宗門の歴史をつらぬく大事で、猊下を通して戒旦の大御本尊様への御奉公であり、私達の生涯に二度とはない大福運であります。」(富士昭和四十年七月号一一頁)

とも述べていた。

この「宗門の歴史をつらぬく大事」で「私達の生涯に二度とはない大福運」との言は、汝も、広宣流布の時を迎えて建立する御遺命の意義を含む正本堂との認識を表明していたことが明らかではないか。

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都合が悪くなれば過去の発言を隠し、あくまで自分を正当化しようとするメタボ

メタボ「ケンショー会は小手先は一切用いない」


用いまくってますけど~

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2010-12-16 : あっつぁの顕正会体験記 : コメント : 1 :
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No title
仕事終わって覗いたら、1番やん(^_-)-☆
2010-12-16 18:04 : カラ URL : 編集
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プロフィール

あっつぁ

Author:あっつぁ
もと顕正会男子部支隊長だった
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破折ブログと言うよりは
顕正会の内情暴露のブログですので
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肩肘はらずテキトーにご覧ください

そして全員で顕正会の内部を暴露して参りましょう
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