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功徳とは「六根清浄」

日蓮正宗では、『功徳とは即身成仏なり、又六根清浄なり』(御義口伝)とあり、生命の浄化と物心両面に渡って福徳に満ちた人生を築くことが、妙法信仰の功徳と教えて貰うんです。
私達、衆生の苦悩の原因の迷いの根源は煩悩から引き起こされると仏法では解明してるんですね。

その迷いの生命を浄化し、悪い性を断ち切る果報が、まさに「六根清浄」の功徳なんです。
それで、六根が煩悩に覆われていると、外界の物事を正しく認識出来ずに苦しみの原因を作る事になるんですよ。
この業苦を消滅させるためには、六根そのものを清らかな状態にする必要がありまして【法師功徳品第19】には、『是の法華経を受持し、若しは読み、若しはじゅし、若しは解説し、若しは書写せん。是の人は、当に八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意(こころ)の功徳を得べし。是の功徳を以て、六根を荘厳して、皆清浄ならしめん』と説かれているんです。
法華経受持の功徳によって、六根それぞれに多くの清浄の果報を得る事が明かされてます。

で、その六根の功徳なんですが、
○眼根の功徳-全ての事象が明らかに見え、物事の因果を正確に知る事が出来ます。
○耳根の功徳-あらゆる音声から、実・不実を聞き分ける事が出来ます。
○鼻根の功徳-あらゆる臭いを嗅ぎ分け、分別を誤る事が無くなります。
○舌根の功徳-勝れた味覚を持ち、更にその声は甚妙となり、聞く者を喜ばせる事が出来ます。
○身根の功徳-穏やかで健全な身体となり、外界の刺激に適合させ、自身を処する事が出来ます。
○意根の功徳-心は清らかに、頭脳は明晰となり、智慧が深くなります。

つまり、六根清浄とは六根に備わる煩悩の汚れが払い落とされ、物事を正しく判断出来る智慧を得る事をいうんです。
大聖人様は、『功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり』(御義口伝)と仰せになられており末法の法華経である南無妙法蓮華経を信じ唱える者には、必ず六根清浄の功徳が備わると教示されているんですね。

これらも、御本仏日蓮大聖人様の大慈悲による御加護を受け、正しい信心と修行によって三世に渡る福徳が備わり、清浄にして自在な境涯を実生活に現していくのが、六根清浄であり功徳なんですね。
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2007-01-01 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 5 :
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Re:
現身に六根清浄味わっており感謝でいっぱいであります。どなかのご説法かわかりませんが素晴らしいと素直に思いました。このサイトとても楽しいですね!
2012-01-02 07:25 : ハローぶーちゃん URL : 編集
macさん

昨日、お返事をさせて頂く予定でおりましたが、目師会・七五三。顕正会婦人部の方の御受戒で時間が取れず、お返事が遅くなってしまいました。
申し訳ございません。

「祈っても答えがでません」との事ですが、既にmacさんご自身がお気づきであるように、macさんは頭ではご理解なされておられる。ただ、心の闇が、煩悩がそれを邪魔している。そうではないでしょうか。

私自身、日蓮正宗に帰依して1年程ですが、この短い間にも信心を試されるような出来事があり煩悩魔にとらわれた事もありました。
日蓮正宗は、罪障消滅から始まる。と先輩に聞いてはおりましたが、これ程、私は罪障深いのか?と思う事も出てきております。
ですが、御本尊様に真剣に祈り切り解決出来ない悩みなど無い!とも確信致しております。「祈りとして叶わざるはなし」です。

私自身も、顕正会を辞めると決意して1人となり、そこからのスタートでしたが、今は共に悩み・共に学び・共に笑い・共に励まし合う同志に恵まれました。が、しかし、自身が成仏する為の修行は常に御本尊様と1対1だと思っております。
私の信心に取り組む姿勢は、今でも顕正会時代と何ら変わりず、顕正会時代の組長訓が信心の行動指針のままなのです。

私も顕正会時代に真実を求め五里霧中を彷徨い、教化親さんを始めとする先輩方の暖かい励ましの中、成仏が叶う日蓮正宗に辿り着きました。ですがその道のりは決して平坦ではありませんでした。時には、教化親さんに暴言も吐きました。
それでも教化親さんは粘り強く、忍耐と慈悲をもって私を救って下さいました。
それが大聖人様の仏法を実践している法華講員の振る舞いだと、その姿から学び取りました。
macさんの様に、悩み苦しむ方を見て何もしなければ、私は大聖人様の仏法を実践する法華講員ではない。

管理人である、あっつぁさんの様に、顕正会時代に作った借金返済が出来るか?は、macさんご自身のこれからの身の振り方、ご自身の修行にかかっていると思います。
私の事を述べさせて頂ければ、私の住む宮城県北から大石寺までは新幹線で往復¥4万円はかかります。車ですと往復¥2万円です。
それでも日蓮正宗に帰依して今年は10回ほど御登山させていただいております。
これが日蓮正宗に帰依し僅か1年の境涯の姿です。

それから、一般人として唱えたい時に、お題目を唱える事は、お薦めしません。
何故なら、そこに唱えるお題目は三大秘法のお題目ではないからです。
極端に言えば、身延・学会・顕正会や立正佼成会などと何ら変わりはありません。

三大秘法が揃う日蓮正宗で唱えるお題目こそが、境涯が変わり成仏出来る唯一のお題目なのです。

macさん、如何でしょうか、宜しければ21日(土)に大石寺を一度見学されませんでしょうか?

ご都合が悪いようでしたら、22日(日)にオフ会前に新宿でお会い出来ないでしょうか?

お返事お待ち致しております。
xe28663a72yw7c@softbank.ne.jp

hotroad_the_night@yahoo.co.jp
2009-11-16 12:06 : たくチャンのパパ URL : 編集
たくちゃんのパパさん

ありがとうございました。
祈っても答えがでないときはどうしたらいいのでしょうか?
恐らく私の煩悩が、自分が考えていることすらわからせまいとしているんだと思います。頭の中に黒い闇があるようで、これが取れなくてスッキリしません。真剣に向き合うつもりでお題目を唱えても、自力でやってるような感じで何も湧いてきません。
この状態、顕正会でいろいろ御奉公していたときよりも不明瞭です。

あのときはあのときで、顕正会を先生を、区長を信じて、正しいとした上で、それを判断に善悪を決めていたからかもしれません。
今は、今までのものがプツリと消え、いきなり一人になり(→同志がいなくなったということ)、わかりません。
顕正会で生きる中で、いつの間にか身に付いた精神もあるのかもしれません。
今は純粋な私の思いがわからないんです。

こういうままで何をやっても、曇りガラスの眼鏡を着けてるようなもので何でも暗く見えてしまうんですけどね…

だから信心に対しても、
御本尊様にお会いしに行くべきか
それとも自分はただ一般人として、唱えたいときにお題目を唱えて謗法にはなるべく近寄らず、信心以外に自分の好きなことをやるべきか…
気持ちがクリアになった上できめたいのにまだ判断しかねてます。

顕正会時代に作った借金も返したい。最近のあっつぁさんの文を読んだら、本当にそうなれるなら移籍も真剣に考えてしまいます。

毎回くどくてすみません。
2009-11-14 13:01 : mac URL : 編集
macさん

お返事が遅くなり申し訳ございません。
「戒壇の大御本尊様にお会いしただけで、自分の嫌なところも何もかも全てを見つめきって、自分に正直になれるがも分かりません」←これ、今現在のmacさんの心境を語っておられますよね。
かなり苦しんでおられる様子と推察致します。

そんな苦しんでおられるmacさんを救う事を私には出来ません。
それが出来るのは、慈悲溢れる御本仏 日蓮大聖人様のみなのです。

macさん、何故、日蓮大聖人様は戒壇の大御本尊様を顕されたのでしょうか?
一切衆生を救う為ですよね。それが御本仏たる由縁なのです。


ここに先輩が先日、送って下さった文章があります。一度、お読み下さると幸いです。


【生活を煩わす「煩悩」】
『「煩悩」とは、私達の身心に一生涯付きまとう煩わしいものであり、生活の中で共に付き合っているわけです。
私達の心を思い煩わせ悩ませる存在が「煩悩」です。御本尊様に御題目を唱えれば、「煩悩」が薪となって私達の生活を明るく照らします。【御義口伝】に、「今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉るは生死の闇を晴らして涅槃の智火明了(みょうりょう)なり。生死即涅槃と開覚するを「照は則ち闇(やみ)生ぜず」と云ふなり。煩悩の薪(たきぎ)を焼いて菩提の慧火(えか)現前(げんぜん)するなり。煩悩即菩提と開覚するを『焼は則ち物生ぜす』とは云ふなり。爰を以て之を案ずるに、陳如(じんにょ)は我等法華経の行者の煩悩即菩提・生死即涅槃を顕はしたり云云」(御書1721)
と仰せの如く、煩悩の扱い方次第で悟りが開かれるのであります。
「煩悩」という意味は、衆生の心身をわずらわし悩ませる一切の妄念。貪・瞋・癡・慢・疑・見を根本としますが、その種類は多く、「百八煩悩」「八万四千の煩悩」などといわれています。「八万四千の聖教」という言葉がありますが、釈尊が説かれた経典の全てであり、一つ一つの煩悩について全て解決方法を説かれたものです。その究極の教えが「南無妙法蓮華経」であります。
 「煩悩」に身心が害されると、気持ちが平常心を失い、冷静さがなくなり、落ち着きもなくなります。ある縁によって「煩悩」は生まれます。またその縁と自分自身が持ち合わせている、考えや思想によって「煩悩」は生まれます。故に性格的な「好き嫌い」などの感情に大きな原因があります。この感情を完全に無くせば問題はありませんが、実際問題そう言うわけにはまいりません。
 世の中の人は、この「煩悩」の扱い方に迷い振り回されていると言っても過言ではありません。
日蓮正宗の信心は「煩悩」をよりよい方向に、生活が快適になるよう取り扱っていくものです。人間が苦しむ原因は「煩悩」があるからです。
「煩悩」は残念ながら完全に無くすことが出来ません。「煩悩」を完全になくしてしまえば、この身を殺し死ななければなりません。これでは小乗教の灰身滅智になってしまいます。大乗教である法華経の考えは、完全に滅するのではなく、正しい「煩悩」の取り扱い方法が説かれているわけです。
 世の中には使い方一つで良くも悪くもなる事柄が多くあります。「煩悩」もこの理屈と同じように、悪く考えるから「煩悩」として存在するのであり、良い方向性に考えを向けることで「煩悩」という存在が「菩提」に変わってしまうのであります。
それが日蓮大聖人が説かれる教え「煩悩即菩提」という考え方です。
 「煩悩」をよく火に譬えられますが、火も扱い方次第で生活を快適にしますし、一歩間違えると、火事を引き起こし生活を全て失う可能性を持っています。「煩悩」もこの理屈と同じです。
 御本尊様に向かって御題目を唱えるところに「煩悩」の正しい扱いと生活を快適にする方法が見出せるのであります。勤行唱題は、「煩悩」という心に燃え盛る火を、御本尊様から智慧を頂いて大事に至らないよう解決させて頂き「煩悩」をもって生活を楽しくし幸せにします』
2009-11-12 15:16 : たくチャンのパパ URL : 編集
こちら、私宛への返信で下さった文(の一部)ですよね。ありがとうございました。
六根清浄は初めて聞きましたが大変勉強になりました。何がどうあれ今の私の状態が、清浄にならないとなので。あっつぁさんバージョンの六根清浄(虎さんへの返事トピックの本文より)にある、"濁っているからうまくいかない"正にそれだと思います。
顕正会はもう卒業したと私は思っています。
ただ、戒壇の大御本尊様にお会いしただけで、本当に自分が自分の嫌なところも何もかも全てを見つめきって、自分に正直になれるかがわかりません。
完璧を目指しているわけではないけど、それでも心境は"ガラッと"変わりたいんです。
"あぁ自分はこうだったんだ"と、しっかり自覚して把握して、その上でいろんなことをやっていきたいです。理想論かもしれませんが、
今必死なモヤモヤな状態で、行動していますがそれでも空気をつかんでいる感じで、自分が何をしたいのかわからない。
必ず核があるって感じてるから、どうしてもそれを見極めたい。何て言うか、これが私の命で、中心部分で、そこから全ての行動が出ていると思います。だから、自分がはっきりつかまないと。
未だ素直になれてない自分がいるようです。

長々と意味不明な文になりましたが、今はそう感じています。
まだ全然未定ですが私だけの体験を、ブログに書いていこうと思います。
2009-11-07 16:26 : mac URL : 編集
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プロフィール

あっつぁ

Author:あっつぁ
もと顕正会男子部支隊長だった
あっつぁ と申します

破折ブログと言うよりは
顕正会の内情暴露のブログですので
現役会員も元会員もアンチ顕正も
肩肘はらずテキトーにご覧ください

そして全員で顕正会の内部を暴露して参りましょう
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