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御本尊に関する浅井会長の発言 byたくチャンのパパさん

丸山大飯店

御本尊に関する浅井会長の発言をまとめてみました。

昭和60年2月23日 本部会議における浅井会長指導
「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。(中略)妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人・五十四代日胤上人・五十五代日布上人・五十六代日応上人・六十代日開上人・六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」(顕正新聞 昭和60年3月15日号)

平成5年6月15日 松本日仁元住職第17回忌法要における浅井会長講演
「尊能化は、『妙信講が広宣流布の御奉公をするのに、御本尊がなければ困るでしょう』とおっしゃって、日寛上人の御形木御本尊を大量に、私に託して下さった。実は昭和四十一年以降、宗門では末寺で授与する御本尊を、日達上人の御本尊に替えたが、それ以前の三十年代には、どの末寺でも日寛上人の御形木御本尊を授与していたのです。松本尊能師はその日寛上人の御本尊を大量に蔵しておられ、それを私に託して下さったのであります。そのほか、本部会館安置の御本尊を含めて、歴代上人の大幅の常住御本尊七幅も、お渡し下さった。」(顕正新聞平成5年6月25日号)

平成11年4月12日 本部指導会における浅井会長指導
「ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して下さったのであります。(中略)私は、この異常事態の宗門の中で、ひとり顕正会だけが、あの清らかな日寛上人・日布上人の御本尊様を拝めるということ、こんな有難いことはないと思っております。」(顕正新聞 平成11年4月25日号)

※平成11年4月12日 本部指導会における実際の浅井会長発言
「ここに、松本御能化がですね、妙縁寺に所蔵するところの、歴代上人の直筆の御本尊七幅、それから、日寛上人のお形木御本尊、並びに、日布上人の大幅お形木御本尊を多数、用意して下さって、私に託して下さったわけであります。」



昭和60年には『願い出た』平成5年には『託して下さった』平成11年には『多数用意して下さった』となっている。
この年を追った浅井会長の発言はおかしいものである。
解散処分になった妙信講に、御宗門が新たに御本尊様を御下げ下さる訳などあるはずもなく、妙縁寺にそれほどの御形木御本尊様があるとも思えない。『多数用意して下さった』とは、偽本尊を浅井会長自ら多数作成したことを正当化しているのではないだろうか?
また、日寛上人より日達上人の御形木御本尊様が変わったのであれば、日寛上人の御形木御本尊様は、総本山に御返納するはずであると思われる。

更には、昭和60年や平成5年の浅井会長指導には一切なかった、日布上人大幅御形木御本尊の話を平成11年になり初めて触れているのである。
昭和49年に解散処分になった妙信講(顕正会)が、何故、平成11年の浅井会長指導まで日布上人大幅御形木御本尊を言わなかったのか?
それは浅井昭衛自らが日蓮正宗には存在しない、日布上人大幅御形木御本尊を作成するという大謗法を犯したほかならないからである。

***************

たくチャンのパパさ~ん、分かりやすくまとめて頂き、あざざざざ~っす(笑)


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2010-03-02 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 61 :
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たくチャンのパパさんの部屋

ピクチャ(jpg)044[1]
北の破折王、たくチャンのパパさんの部屋ここに見参!!(笑)

塾長は勿論たくチャンのパパさん(笑)

さぁ~いらっしゃい~いらっしゃい~(笑)
2007-01-06 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 815 : トラックバック : 0
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顕正会員の病気で苦しんでおられる皆様へ

顕正会員の病気で苦しんでおられる皆様へ



【可延定業御書】
『日蓮悲母(はは)をいのりて候ひしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。今女人の御身として病を身にうけさせ給う。心みに法華経の信心を立てゝ御らむあるべし。』(御書760)

この御書は、大聖人様の母上の延命の事を述べておられます。


『日蓮悲母をいのりて候ひしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり』
大聖人様の母上が病にかかって危篤状態になった時に、大聖人様が駆け付け、母上の病気の平癒を御祈念されたところ、まさに息を引き取る寸前であった母上が息を吹き返して、病気を克服しただけではなくて、4年 間の寿命を延ばす事が出来た事を言われています。

本来であれば、大聖人様の母上は、ある程度の年齢であり、また重い病気によって、そこで命を落とすべきであったところを、病を治す事が出来て、そして死すら4年に渡り長らえる事が出来た。という現証を挙げられているんです。


『今女人の御身として病を身にうけさせ給う。心みに法華経の信心を立てゝ御らむあるべし』
この対告衆は、富木常忍殿の奥方ですが、「今、貴女は病気にかかっている。この仏法は真実であるから、試みに、大聖人様の言う通り、心から信心を奮い起こして信仰してみなさい。」と、強い信行に起つ事を仰せになっておられます。

大聖人様は仏様てしての立場から、「大聖人の仰せは真実であるが、それがまだ解らなければ、試みに、大聖人の言う通りに信心をしてみなさい。そうすれば、必ず現証が顕れる」という事を約束して下さっておられます。

顕正会でどんなに頑張っても病苦からは救われ真せんよ。

顕正会の皆様も私達と一緒に日蓮正宗で頑張ってみませんか?

連絡お待ちしとりやーす(^-^)/~~

2007-01-01 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 5 :
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参詣の大事

【南条殿御返事】
『参詣遥かに中絶せり。急ぎ急ぎ来臨を企つべし。是にて待ち入って候べし。』(御書1569項)

御本仏 日蓮大聖人様が、南条時光殿に宛てられたお手紙です。

南条殿(上野殿)は身延におられる、大聖人様に食うも喰わず着るものも着られない状態ながらも大聖人様の身を案じておられ、多くの御供養を届けておりました。
その一方で、身延の大聖人様の下への参詣は長く途絶えてあったのです。
その事に対しての大聖人様からのお手紙です。

四条金吾殿御返事にもあるように、戒壇の大御本尊様の下へ参詣に詣でる事は、無始以来の罪障消滅にも繋がり、自身の功徳を積む事にも繋がります。


日妙聖人が女性でありながらも大聖人様にお目通りしたいと、山賊や海賊に遭う危険を省みず幼子を連れて佐渡島に渡られた事。

阿仏房が90才の高齢ながらも佐渡島から身延の大聖人様の下へ"お目通りしたい"と御登山された事。

金沢の法華講衆の参勤交代での吉原からの抜け参り。

仙台法難では、網地島に流罪になった覚林上人は仙台の法華講衆に対し「私は流罪の身、御供養はいらないので、その御供養を御登山の費用にあてなさい(趣意)」といった御指南。

このように、鎌倉時代の日蓮大聖人様がまだ御在世の頃より法華講衆の方々は渇仰恋慕の思いで大聖人様の下へ渇仰恋慕の思いで参詣していたのです。

現代であれば、大聖人様の御当体であられる、本門戒壇の大御本尊様がまします大石寺に御登山し、御開扉で本門戒壇の大御本尊様にお目通りすることが=日連大聖人様にお目通りする事と同じなのです。

顕正会の皆様
顕正会に身を置いていたままでは、罪障消滅も叶わず、功徳を積む事も出来ず、また本門戒壇の大御本尊様に一生かけてもお目通りする事は叶いませんよ。

2007-01-01 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 2 :
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依法不依人

釈尊の説かれた、涅槃経には「法に依って人に依らざれ」という「依法不依人」って言葉がありますが、多くの顕正会員を見ていると、どうしても「依法不依人」に思えてならないんですよ。

この言葉の意味は、「仏法を信じて行じて修行していくには、正法に依るべきであって、法を無視した人に依ってはいけない。」って事なのですが、顕正会員の皆さんどうでしょうか?

その最たるものが、総幹部会などで登壇される方々の「浅井先生に断じてお応えして参る決意であります!」であろうかと思います。

または、「○○隊長・支隊長の為に~」ですとか「○○区長・総班長の為に~」という事も、私が顕正会時代に耳にした言葉ですが、それは"法に依っているのではなく、人に依っているのです"よね。

日蓮正宗では、一切経を研鑽された日蓮大聖人様の"御書"を毎月、御報恩御講で学びますが、仏法という法に依らず、在家の会長に依り我見にとらわれた邪義を学んでも成仏は出来ません。

成仏する為には、正しい師に付き、法を学び"南無妙法蓮華経"と御題目を唱える事で、幸福の境涯を得ることが出来、成仏が叶うのです。


顕正会員の皆さん。法に依って判断をし、人に依らないで頂きたいと思います。

2007-01-01 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 1 :
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功徳とは「六根清浄」

日蓮正宗では、『功徳とは即身成仏なり、又六根清浄なり』(御義口伝)とあり、生命の浄化と物心両面に渡って福徳に満ちた人生を築くことが、妙法信仰の功徳と教えて貰うんです。
私達、衆生の苦悩の原因の迷いの根源は煩悩から引き起こされると仏法では解明してるんですね。

その迷いの生命を浄化し、悪い性を断ち切る果報が、まさに「六根清浄」の功徳なんです。
それで、六根が煩悩に覆われていると、外界の物事を正しく認識出来ずに苦しみの原因を作る事になるんですよ。
この業苦を消滅させるためには、六根そのものを清らかな状態にする必要がありまして【法師功徳品第19】には、『是の法華経を受持し、若しは読み、若しはじゅし、若しは解説し、若しは書写せん。是の人は、当に八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意(こころ)の功徳を得べし。是の功徳を以て、六根を荘厳して、皆清浄ならしめん』と説かれているんです。
法華経受持の功徳によって、六根それぞれに多くの清浄の果報を得る事が明かされてます。

で、その六根の功徳なんですが、
○眼根の功徳-全ての事象が明らかに見え、物事の因果を正確に知る事が出来ます。
○耳根の功徳-あらゆる音声から、実・不実を聞き分ける事が出来ます。
○鼻根の功徳-あらゆる臭いを嗅ぎ分け、分別を誤る事が無くなります。
○舌根の功徳-勝れた味覚を持ち、更にその声は甚妙となり、聞く者を喜ばせる事が出来ます。
○身根の功徳-穏やかで健全な身体となり、外界の刺激に適合させ、自身を処する事が出来ます。
○意根の功徳-心は清らかに、頭脳は明晰となり、智慧が深くなります。

つまり、六根清浄とは六根に備わる煩悩の汚れが払い落とされ、物事を正しく判断出来る智慧を得る事をいうんです。
大聖人様は、『功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり』(御義口伝)と仰せになられており末法の法華経である南無妙法蓮華経を信じ唱える者には、必ず六根清浄の功徳が備わると教示されているんですね。

これらも、御本仏日蓮大聖人様の大慈悲による御加護を受け、正しい信心と修行によって三世に渡る福徳が備わり、清浄にして自在な境涯を実生活に現していくのが、六根清浄であり功徳なんですね。
2007-01-01 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 5 :
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浅井昭衛本部長の発現

浅井センセーは、御宗門は創価学会に諂い正本堂を御遺命の戒壇と~などと述べているが、それではその妙信講時代の浅井昭衛本部長は何と言っていたのでしょう?

妙信講(顕正会)の嘗ての教学誌[富士]第24号には、正本堂建立に際して『正本堂建立に御供養申し上げるのは、千載一遇の大福運。全講中挙げで、正本堂建立の御供養に赤誠を』
『いよいよ戒壇の大御本尊様が民衆の前にお出ましになる』と、浅井昭衛本部長が発言しているが、この内容からすると、浅井昭衛本部長は"正本堂が御遺命の戒壇"と言っているように受け取れるが顕正会の皆さんいかに?
これを世間一般では[自語相違]と言うのだよ。


更には、正本堂建立に於ける、日達上人の訓諭の全文を顕正会では会員に教えていない。
日達上人猊下の正本堂建立に於ける訓諭には『正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門の戒壇たるべき大殿堂なり。【但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳奉るなり】』と仰せです。

一言も日達上人は、御遺命の戒壇などと述べてはおられない。
そこをよくよく考えたまえ。

2007-01-01 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 1 :
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顕正会の勤行

顕正会の勤行は、現在は【方便品・寿量品長行の一座の勤行】ですが昔はどうだったでしょうか?


今から486年前(1523年)に御指南された、第12世 日鎮上人の【堂参御経次第】にも五座・三座の御指南があるそうです。
また、第26世 日寛上人は、金沢の法華講衆である福原式冶氏への御指南で『若し堪えたらん人は本山の如く相勤むべし、若し爾らずんば十如自我掲題目なりとも五座三座の様式相守るべし』との御指南を文証として残されております。

顕正会員の皆さん、日寛上人は『本山の如く相勤むべし』と仰せられているのですよ。

この御文の意味は、お分かりの様に[大石寺の様に、勤行を励みなさい]との御指南です。
そして『五座三座の様式相守るべし』とは[五座三座の勤行を守って行いましょう]と仰せられているのですよね。

浅井会長も、日鎮上人や日寛上人の仰せを信じていたからこそ嘗ての[富士]に五座・三座の勤行の指導を載せていたハズですし、【組長訓】にも『第四に勤行と折伏の実践者たれ。(中略)何より仏道修行の基本は五座・三座の勤行である~』(S40年作成)と断言し、会員に指導されたのです。

それなのに、ハッキリとした理由もなく、また歴代御先師の文証も無いのに、一座の勤行に変えるのはおかしいと思いませんか?

浅井会長は、日鎮上人・日寛上人の仰せを信じているからこそ、盆栽町の豪邸の仏間に御安直してる常住御本尊様に向かい、朝夕の勤行で五座三座の勤行を毎日実践しているのだと思いますよ!

よく、顕正会員の皆さんは、一座の勤行は「寧ろ時に叶っている」と仰いましたが、顕正会員の皆さんも御存知の通り、勤行と唱題は仏道修行の基本中の基本であります。

それが、歴代御先師の御文がありながら明確な理由もないままに「寧ろ時に叶っている」ですとか「今の時法には少々煩いがある」と云う理由で一座に改変するのは道理に反すると思われませんか?


因みに、浅井会長宅に御安直してる常住御本尊様は、板曼荼羅本尊様で、昭和8年6月に、豊島教会所(後の妙光院・現在は板橋区の妙国寺)の時に授与された、阿部日開上人(大石寺60代)様の常住御本尊様で、浅井甚兵衛氏が頂いたものですよ。

会員には、出処不明のニセ本尊を拝ませ、自分は常住御本尊様を拝むとは酷い人ですよね浅井会長は!

まぁ浅井会長宅の常住様も血脈が切れた御本尊様ですので、成仏はしませんがね。

2007-01-01 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 2 :
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日達上人様の御指南

日達上人様の御指南です。

◆◆ 異体同心 ◆◆

昨年やはりこの大会において、私は熱原の法難のことを述べました。その熱原の人びとに対して大聖人様は、「熱原のものどもの御志異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶うことなし」と仰せになって、彼等に異体同心に和合僧をなして信心に励むことを、お教えになっております。やがてその熱原の人びとは法難に遇いましたが、少しの退転もなく、ひとりの落伍者もなく、一同心を一にして南無妙法蓮華経と唱え通しました。

大聖人様は今者已満足と、この戒壇の大御本尊を建立あそばされ、そこに法華講衆等敬白の御文字をおしたためになったのであります。

この法華講衆の血脈を継げる今日法華講の皆様は、異体同心の信心を忘れてはならないと思うのでございます。異体同心とは、今日の法華講の皆様が団結して、戒壇の大御本専を拝し一心に南無妙法蓮華経と唱え奉ることでございます。
(法華講関西第二回総会の砌 S39・11・29)

 ◆ ◆ ◆

我々の信心は、強い人もあれば弱い人もありますが、共に手を携えてゆかなければならないのであります。これを譬えれば、戦争の時代に多くの輸送船があり、戦地の人々の生命の糧である食糧や補給物資を運びました。この輸送船には船足の速い船もあれば遅い船もあります。しかし輸送船団というものは、遅い船を対象とし速い船もゆっくりと、共に一団となって進んでゆくのであります。

今日で言えば、ヒマラヤ登山のパーティーの如く、息の続く人や足の強い人が、身体の弱い人を労わってこそ、始めてあの嶮しい山の頂きに到達することができるのであります。

我々の信仰というものも、そうでなくてはならないと思います。自分だけの信心で、ただ独り成仏すれば良いというものではない。共に信心の弱い人を励まし、地域社会一団となって、そこに広宣流布があれば、やがてそれは真実の広宣流布となると信じるのでございます。
(元朝勤行の瑚 S47・1・1)

 ◆ ◆ ◆

昔は、父は子のためにかばい、子は父のためにかばう、そして初めて一家というものが団欒して栄えていく、これは東洋の道徳です。近ごろの道徳は大分違っておるけれども、殊にこの素晴しい正法を信じていく人は、互いにかばい合って、悪いことがあったら自ら忠告しあって、そして正法を弘めていくということが最も大事である。それで始めて和合僧団ということができるのである。それを破壊して、実にもあれ不実にもあれ、お互いに悪口をいうということは破和合僧で、これは最も悪いことであるから、注意しなければならない。
(得成寺板御本尊入仏式の砌 S39・10・31)

2007-01-01 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 0 :
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【質直意柔軟】(しちじきいにゅうなん)

【質直意柔軟】(しちじきいにゅうなん)

質は性質・機根であり
直は素直・正直。

信心するときは正直で素直な性質・性格が求められ、意である命・心をやわらかく柔軟にすることでしょうか

御隠尊日顕上人猊下の御指南「寿量品説法(262~263)」

次の「質直意柔軟」とは、上の信伏した衆生、すなわち皆様の心の状態を説かれた文であります。
大御本尊と下種の仏法僧の三宝を信ずる命が素直であって心から恭い順うとともに、おのずから正直の身と口と意によって一切を処するのが「質直」という文であります。
世間においても心の正直な人は必ず敬うべきを敬い、人が見ていなくても悪を捨て善を積む故に、陰徳によって陽報が来たるのであります。
『当体義抄』に説き給う、「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は(乃至)本門寿量の当体蓮華の仏云云」(御書694)との絶大な功徳も、その元は「正直」の二字にあり、世間においても仏法においても、正直の二字がいかに大切であるかということを知るべきであります。
また、次の「柔軟」とは、意がやわらかで、我意・我欲に囚われず、正しい法のなかに自己を同化することができる故に、真の善事を行う勇気ある人格となります。すなわち、本宗の純信なる自行化他の信者の心を説かれているのであります。


【平成十六年四月度・広布唱題会(平成十六年四月四日)】

『衆生既信伏 一心欲見仏 不自惜身命(衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず)…(法華経439)
という有名な御文としてお示しであります。皆様方も自我偈のなかのこの御文は、御信心の上からも心掛けの上からもはっきり知っておく必要があると思います。
この「質直にして意柔軟」の「質直」とは、本来の妙法の当体の質をそのまま明らかにしていくという意味で、いわゆる「正直」ということであります。
正直ということは、我々の生活のなかにおけるあらゆる問題について、逃げないで、正しく対処していこうという気持ち、自分の命そのものを本当に正しく顕していこうという気持ちが根本的な意味であります。たしかに様々な問題があります。困難な問題もあります。それらの問題を正しく正直に徹底して処置していこうという心が「質直」であります。それが質直ではありますけれども、あまり正直過ぎて、先程申しましたように、心が部分的なところに執われて融通が利かなくなる。そうすると、そこに一つの執われが生じ、色々な意味での悩み・苦しみ・不幸も生じてくるのであります。

次に「質直意柔軟」の「柔軟」ということは、心が常に柔らかいということであります。ですから、どのようなことがあっても、そこに心の大きな温かさ、柔らかさをもってすべてを対処していく、しかもそれに執われず、穏やかに、また柔らかに、その筋道に沿った形での心の用きを保っていくという意味であります。
2007-01-01 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 0 :
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《顕正会の偽本尊について破折す。》

《顕正会の偽本尊について破折す。》

顕正会の本尊は、御法主上人の印可なく勝手に作成され、また御開眼供養されてなく血脈のない本尊なのである。
以下に文証を示そう。


【木絵二像開眼供養之事】に『法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(中略)法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり』と仰せです。
「法華を悟れる智者」の開眼供養によって始めて草木の曼荼羅も仏様の御生命が顕れる事が示されているのである。

では「法華を悟れる智者」とは誰かといえば、第31世 日因上人は『木絵の二像は本草木にてあり。しかるを生身の妙覚の仏と開眼したもうことは、大事至極の秘曲なり。日蓮聖人乃至日因に至るまで三十一代、累も乱れず相伝これなり』とあり、大聖人様はもとより大聖人様の悟りを相承された御歴代上人こそが、それに当てはまり顕正会の本尊は御法主上人の開眼供養のない偽本尊なのである。

故に顕正会の偽本尊を拝めば「その身に鬼神入る」札となり、拝む会員の功徳は無くなり、生活は荒み、病苦・貧乏・家庭不和に陥るのです。

また【本因妙抄】には『此の血脈並に本尊の大事は、日蓮嫡嫡座主伝法の書、塔中相承の稟承、唯授一人の血脈なり』と仰せられております。
このように御本尊の御事は全て唯授一人の御法主上人の掌中にあり、他の誰人も時の法主上人を離れて、勝手に御本尊を作成したり、授与したりする事は、絶対に許されないのです。
故に、第59世 堀日亨上人も【化儀抄 註解】に『曼荼羅書写・本尊授与の事は、宗門第一尊厳の化儀なり。(略)ゆえに宗祖は濫(みだ)りに曼荼羅を授与したまわず、開山は曼荼羅転授についてもこれを丁重になしたまい、尊師は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず。しかるに余門流の僧侶、不相伝のまま猥(みだ)りに曼荼羅を書き散らして、僭越の逆罪とも思わざるのみならず、雑乱滅裂、全に型式をだに得たるものなし。無法・無慙(むざん)の甚だしきもの、八代地獄は彼れ等のために門を開けり。慎まざるべけんや』と仰せされ、御本尊の御事は、書写のみならず授与についても、本宗の第一尊厳の化儀であり、これを相伝なく濫りに行う者は、僭越な謗法者にして堕地獄必定である、と断ぜられております。


また顕正会では、こうした御金言や御歴代の御指南を無視して"昭和29年以前は"などと話しておりますが、実際にはその当時も、御本尊に関する一切の権能は御法主上人ただ御一人であったのです。
その証拠と言いますと『院第246号
昭和29年4月16日
宗務院庶務部長 細井精道
宗内寺院教会殿
今回宗内に御守本尊と称して「日蓮大聖人御真筆」と脚注せる弘安4年3月の御本尊を写真版にしたるものが配布されていることを発見した。
右は総本山で下附したるものでなく、又法主上人の御印可ありしものでもない。依て本宗の本尊として取扱うべきではない。故に現在所持せる者は最寄の寺院教会に納入せられるよう御取り計らい方を依頼する。
「注意」
若し今後かゝるものを信徒に本尊として授与することが発見せられた時は、こと本尊に関することであるから「信仰の改変を企つもの」と見なされるであろう。』と昭和29年当時においても、御本尊に関する一切の権能は御法主上人にあったことが明白なのです。
しかれば、御法主上人の印可なく勝手に印刷された顕正会所持の本尊は、大謗法の偽本尊なのです。
2007-01-01 : たくチャンのパパさんの部屋 : コメント : 1 :
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顕正会の[日寛上人の御形木御本尊]について

顕正会の[日寛上人の御形木御本尊]について。


顕正会には、会館別室(集会室)や、各自宅拠点に安置してある日寛上人の御形木御本尊にも3種類があるんですね。
それで最近建立の会館には【枠が緑色・大きさは(中)】の御本尊が安置されておりますが、仙台会館には【枠が黄色っぽく・大きさは(小)】の御本尊様が安置され、公開されている石巻市の自宅拠点には【枠が赤色っぽく・大きさは(大)】の御本尊が安置されてるんですよね(笑)
自分が顕正会を辞める昨年秋の時点で、宮城県内には自宅拠点が婦人部だけでも確か10箇所あったんだよなぁ。公開されてる拠点は壮年部だけど、壮年部の拠点は3箇所だったな。それに男子部・女子部を含めると30箇所近くになったハズなんだよな。
宮城県だけで30箇所の自宅拠点だから47都道府県を合わせると1000箇所は簡単に超えるよ?
浅井センセーは「日布上人・日寛上人の御形木御本尊多数」って言ってたけど、末寺である妙縁寺にそんなに日寛上人の御形木御本尊があったとは思えないよね?
あったなら、どこに閉まってたのかな?
お巻きしても1000幅といえば相当なスペースが必要なんだよ?
それに顕正会が解散処分になってから30年以上も経っているのに何故か新しい会館に安置される、日寛上人の御本尊は真っ白(笑)あり得ねー。


それに、顕正会の御本尊は御開眼供養されていないんだよな。この事について大聖人様は『木絵二像開眼供養之事』に「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(中略)法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり」と仰せでして、「法華を悟れる智者」の開眼供養によって始めて草木の曼荼羅も仏様の御生命が顕れる事が示されているんですね。

では「法華を悟れる智者」とは誰かといえば、第31世 日因上人は「木絵の二像は本草木にてあり。しかるを生身の妙覚の仏と開眼したもうことは、大事至極の秘曲なり。日蓮聖人乃至日因に至るまで三十一代、累も乱れず相伝これなり」とあって、大聖人様はもとより、大聖人様の悟りを相承された御歴代上人こそが、それに当てはまり、顕正会の本尊は御法主上人の開眼供養のない偽本尊なんですよ(笑)

なので、顕正会の偽本尊を拝めば「その身に鬼神入る」札となって、拝む会員の功徳は無くなり、生活は荒み、病苦・貧乏・家庭不和に陥るんだな(笑)

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導師曼荼羅について

導師曼荼羅についてですが、やはり顕正新聞H19・10・5 第1081号に於いて『日布上人御書写の「大日蓮華山大石寺」の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊まで、六幅授与して下さったのであります。』と、ありますが、末寺や自宅に御安置する御形木御本尊は「現当二世の御本尊」といい、御本尊の右肩に『為現当二世』と書かれてるんですが、導師曼荼羅は「即身成仏の御本尊」といいまして、御本尊の右肩に『即身成仏之印文也』と脇書があり、更に中央首題の両脇に「五道冥官」「閻魔法王」が御請されているんですよ(笑)

本来、導師曼荼羅とは末寺住職の申請によって御法主上人が顕し、直筆の御本尊であり授与書きには、「御本尊が授与される寺院名及び願主の僧侶の道号と日号が記されている」ので、導師曼荼羅に御形木御本尊は一幅もこの世の中に存在しないんですよ(笑)
なので、顕正会の御形木導師曼荼羅は偽物なんですよ(笑)


日蓮大聖人様は【本因妙抄】に『此の血脈並に本尊の大事は、日蓮嫡嫡座主伝法の書、塔中相承の稟承、唯授一人の血脈なり』と仰せられております。
このように御本尊の御事は全て唯授一人の御法主上人の掌中にあり、他の誰人も時の法主上人を離れて、勝手に御本尊を作成したり、授与したりする事は、絶対に許されないのです。
故に、第59世 堀日亨上人も『化儀抄 註解』に「曼荼羅書写・本尊授与の事は、宗門第一尊厳の化儀なり。(略)ゆえに宗祖は濫(みだ)りに曼荼羅を授与したまわず、開山は曼荼羅転授についてもこれを丁重になしたまい、尊師は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず。しかるに余門流の僧侶、不相伝のまま猥(みだ)りに曼荼羅を書き散らして、僭越の逆罪とも思わざるのみならず、雑乱滅裂、全に型式をだに得たるものなし。無法・無慙(むざん)の甚だしきもの、八代地獄は彼れ等のために門を開けり。慎まざるべけんや」と仰せされ、御本尊の御事は、書写のみならず授与についても、本宗の第一尊厳の化儀であり、これを相伝なく濫りに行う者は、僭越な謗法者にして堕地獄必定である、と断ぜられております。


また顕正会では、こうした御金言や御歴代の御指南を無視して"昭和29年以前は"などと話しておりますが、実際にはその当時も、御本尊に関する一切の権能は御法主上人ただ御一人であったのである。
その証拠を次に示そう。
『院第246号
昭和29年4月16日
宗務院庶務部長 細井精道
宗内寺院教会殿
今回宗内に御守本尊と称して「日蓮大聖人御真筆」と脚注せる弘安4年3月の御本尊を写真版にしたるものが配布されていることを発見した。
右は総本山で下附したるものでなく、又法主上人の御印可ありしものでもない。依て本宗の本尊として取扱うべきではない。故に現在所持せる者は最寄の寺院教会に納入せられるよう御取り計らい方を依頼する。
「注意」
若し今後かゝるものを信徒に本尊として授与することが発見せられた時は、こと本尊に関することであるから「信仰の改変を企つもの」と見なされるであろう。』と昭和29年当時においても、御本尊に関する一切の権能は御法主上人にあったことが明白ではないか。しかれば、御法主上人の印可なく勝手に印刷された顕正会所持の本尊は、大謗法の偽本尊であることがわかろう。
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顕正会の[日布上人大幅御形木御本尊]について

顕正会の[日布上人大幅御形木御本尊]について

なぜ、日蓮正宗には過去に存在してない"日布上人の大幅の御形木御本尊"が顕正会にあるのでしょうか?
御宗門には存在していないのですから、無い御本尊の証拠を出せる訳がない(笑)

御形木御本尊とは、本来、入信したての初信の者に御下附されるのですが、あんな大きな御形木御本尊を一般家庭の御厨子(仏壇)に御安置出来ますか?
無理に決まってますよね(笑)
それだけでも道理が通らないですよね(笑)

顕正会の会館に、安置している"日布上人の大幅の御形木御本尊"が本物だと云うのなら、その証拠を出して下さい。(笑)

宗教の正邪は三証で判断する。と[日蓮大聖人の仏法(折伏理論書)]の<付>にも書いてたハズじゃないですか(笑)
脳乱している顕正会員は、なにかと"功徳の現証"を強調しますが、病気が治ったてな類いの話しなら、学会でも邪教でも大々的に機関誌に発表してますって!
そうすると宗教の正邪を判断する三証を示せないなら、顕正会は邪教と同じですよ(笑)

更に言えば、顕正会の日布上人の大幅の御形木御本尊は、全部『大正5年12月大吉日・日布判82歳謹書』って授与書されていますが、同じ日にわざわざ「細長く・余白の少ない・表具が金色」の日布上人の御形木御本尊」と「大きい(大幅)・余白のある・表具が金色の御形木御本尊」と「大きい(大幅)・余白のある・表具が焦げ茶色」の3種類も日布上人がお作りになりますか?

しかも時代は大正時代ですよ?その当時は、版木で御形木御本尊様をお作りになられていたのですよ。

顕正会の会館に安置されていた、日布上人の御本尊は、平成4年~平成9年までは「細長く・余白の少ない・表具が金色」の御形木御本尊。
平成10年~平成18年までが「大きく・余白のある・表具が金色」の大幅の御形木御本尊。
平成19年以降~現在「大きく・余白のある・表具が焦げ茶色」の大幅の御形木御本尊ですが、年代別に御形木御本尊を御安置しなさい。と、松本能化が遺言でもしたのですか?
そんな内容は顕正新聞にも顕正会の書籍のどこにも書いてませんが?
平成19年以降に開設した新しい会館には新型の「大きく・余白のある・表具が焦げ茶色」の御形木御本尊しか安置していない事こそが、顕正会で御本尊を拡大コピーしてる根拠と言えるでしょうね。

その証拠に、昨年(H20/9)に改築した仙台会館、一昨年(H19/10)に開設した盛岡会館は[大きく・余白のある・表具が焦げ茶色]の大幅の御形木御本尊ですが、それ以前に開設した郡山・秋田・鷹巣・八戸・黒石会館には[大きく・余白のある・表具が金色]の大幅の御本尊です(笑)。
これっておかしいですよね?

ちなみに仙台会館では、9/21(日)[改築御入仏式]以前は、第55世 日布上人の【細長い・余白の少ない・表具が金色】の御形木御本尊が御安置されており、改築御入仏式以後の御形木御本尊は【大幅の・余白のある・表具が焦げ茶色】の大幅の御形木御本尊であり、改築御入仏式以前の御本尊様とは似ても似つかぬ全くの別物でありまが?これはどう説明するのでしょう(笑)

また、妙縁寺に於いては、日布上人様の御形木御本尊様は御下附されていない事は、浅井会長ご自身が(顕正新聞H19・10・5 第1081号4頁)に於いて『実は御形木御本尊の下附は、昭和29年までは宗門で統一することなく、各末寺に於いて~(中略)その例を挙げれば、東京の末寺においては、品川の妙光寺が五十五世・日布上人の御形木本尊、池袋の法道院が五十六世・日応上人、同じく池袋の常在寺は五十七世・日正上人、そして白山の白蓮院では六十世・日開上人という具合で』って話してるんですが、妙縁寺サンが無いんですけど(笑)

日蓮大聖人様は【本因妙抄】に『此の血脈並に本尊の大事は、日蓮嫡嫡座主伝法の書、塔中相承の稟承、唯授一人の血脈なり』と仰せられております。
このように御本尊の御事は全て唯授一人の御法主上人の掌中にあり、他の誰人も時の法主上人を離れて、勝手に御本尊を作成したり、授与したりする事は、絶対に許されないのです。

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宿命って何でしょう?

宿命って何でしょう?

辞書で調べるまでもなく、前世から宿った命ですよね。
その宿った命を変える(転換)するのが仏道修行の一つなんですよね。

例えば、学校や職場でよくイジメに遭う人がいます。
そのイジメに遭う人は環境を変えてイジメから逃れようとします。
ですが、その人の命(宿命)そのものが変わっていないのですから、また同じ様にイジメに遭いますよね。

同様に、人間関係のトラブルや悩みを抱えている人も、環境や周囲の人間関係を変える事によって逃れようとしますが、やはり命(宿命)が変わっていないのですから、また新たな人間関係のトラブルや悩みを抱えます。

女性でも男性DVで悩み交際相手から逃げたり別れたりしますが、何故か?また好きになる人は、またDV男だったりする。と云う話しはよく聞きますよね。

これ、その方の宿った命が本人に自覚がないまま知らずにそうさせているのです。
それ命(宿命)を変えるのが、大聖人様の正法であり、仏道修行なのです。

大聖人様の正法は、六根清浄と即身成仏を説いておられますが『功徳とは六根清浄なり』との御金言の如く、仏道修行を研鑽する事によって人に宿った命を六根清浄に転換し、命のホースに詰まった泥に清流を流す事により功徳を積み重ねていくのです。

その過程で当然、命の泥が先に流れ出て来ますが、それがその方の罪障なのです。
命の泥が全て流れ出た後は罪障消滅ですから、当然、清流しか流れ出て来ませんので、即身成仏への修行へと向かわれる訳ですよね。

その即身成仏については『正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に現はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり』と当体義抄に話され、苦悩の人生を克服出来る力強い生命へと変われると御指南あそばっておられます。


よく顕正会員では、環境がどうこう~ですとか、人がどうこう~と、ご自身の事を横に置き、周囲や他人のせいにする方を見受けられますが、まずはご自身の胸に手を当てて冷静に考えてみて下さい。
それと周囲の方々は、貴方ご自身をどう評価して下さっているのでしょうか?
その評価が人様からの評価なのです。

日蓮正宗では、それらを全て受け入れ、素に立ち返り、素直に謙虚に受け入れる事で仏道修行に打ち込める環境が自然と整って来るのです。

大聖人様は『此の文を心ざしあらん人々は寄り合ふて御覧じ、料簡候ひて心なぐませ給え』佐渡御書
と集まって信心を互いに励まし精進するよう言われております。
これは顕正会のような在家主導を差しているのではありません。

在家主導では、自分本位な姿勢となり我見に陥いってしまい懈怠となり、そして本当の意味での仏道修行から遠ざかってしまうのです。

『心の師とはなるとも心を師とすべからず』義浄房御書とあるように、自分の心を師とするのではなく、御本仏を師とする事が大切なのです。
それは在家である浅井会長ではありません。
唯授一任血脈御相承の御法主上人なのです。

顕正会員の皆さん、私達と一緒に共に学び・共に歩み・共に悩み・共に半歩前進して頑張りましょう。

大聖人様は御照覧あそばしておられますので、必ず手を差し伸べて下さいます。
一緒に六根清浄にし宿命を変え、成仏への境涯へと変えて頂きましょう。

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プロフィール

あっつぁ

Author:あっつぁ
もと顕正会男子部支隊長だった
あっつぁ と申します

破折ブログと言うよりは
顕正会の内情暴露のブログですので
現役会員も元会員もアンチ顕正も
肩肘はらずテキトーにご覧ください

そして全員で顕正会の内部を暴露して参りましょう
http://kensyokameido9.blog50.fc2.com/

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